鳥居龍蔵 -明治時代(『日本の人類学』)

日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.

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鳥居龍蔵 [2], [3]
人類学・考古学・民族学の研究者.人と業績についての詳細は[2]および[3]に.
徳島の裕福な過程に生まれた.小学校を中退したが,家庭で自習.人類学雑誌を講読したことから,坪井らとつながりをもつ.
1890年 上京(当時20歳).
1892年 家をたたみ,両親と共に東京へ(貧乏生活).標本整理係として人類学専攻に出入りするようになる.動物学,地質学,古生物学,解剖学などを幅広く学ぶ.
英国留学から坪井が帰ってきたすぐ後(ちなみに,坪井はこのとき大量の洋書を購入して帰国.これが専攻の蔵書の出発点になる.)


1998年 千島とカムチャッカの調査.このとき千島アイヌの土器・石器と竪穴式住居の利用の証拠を見出し,コロボックル論争にひとつの決着をつけた.
鳥居を派遣した師である坪井の説に反する結果だった.


後年,興味の対象がだんだん文学部よりになっていく.この時代は学際研究をよしとしない風潮だったため,人間関係に気まずさが生じていく.
1989年には助手,1905年には講師,1922年には助教授となるが,1924年に人間関係の問題から東京大学を辞職し,鳥居人類学研究所を設立.


さかんに海外調査を行なった."彼ほど東アジアをくまなく駆け巡った学者はいない" [1].
人類学のみならず,考古,民俗,民族学まで広がり,対象も非常に広範だった.

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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 鳥居龍蔵 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85%E9%BE%8D%E8%94%B5
3 鳥居龍蔵の生涯 (徳島県立鳥居龍蔵記念博物館) http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/torii/denki.htm