明治期以前(『日本の人類学』)

日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.

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■日本の人類学
1877年にモースが大森貝塚を発掘したときにはじまり,
1884年坪井正五郎たちが"じんるいがくのとも"を設立したときに組織的活動がはじまった,
といえる.


■明治までの古い例
713年 『常陸国風土記』に貝塚の記載がある.茨城県水戸市の大串貝塚のことだと考えられている [2].
839年 『続日本後紀』に石鏃の記載がある.
江戸時代 考古学的・人類学的な活動がさかんに行なわれる.北海道での民族学的観察,石器人工論,木内石亭の弄石の社など.
明治時代 ハインリッヒ・フォン・シーボルトが考古学や民族学の研究成果を世界に紹介する [3].


エドワード・モース [4]
1859-62年 ハーバード大学のルイ・アガシに認められ助手になる(ちなみに1859年は"On the Origin of Species"発表の年).講演がうまく,それが生計の助けになっていた.
1877年 6月 腕足類の調査のため日本へ渡航する.
7月 東京大学の動物学の講座に招聘される.
9月 大森貝塚の発掘を行なう [5].標本の一部は,後に,海外の博物館や研究所と交換する(スミソニアン,イエールなど).
12月 "Shell mounds of Omori"を記しNature誌に投稿 [5].この論文は日本の大学の学術発表論文第一号となる.

総じて 19世紀の博物学の伝統をひいた多才な人.

アイヌとの比較による日本人の起源論,出土した貝類の分析,土器につけられた「縄文」の指摘など.
大森貝塚の破損人骨を食人習慣としたが,これは後に誤りであったことが指摘されている.
日本国内への進化論の紹介(連続講義)なども行った.

研究だけでなく,臨海実験所や東京生物学会(現在の日本動物学会)の設立なども.
日本の若い人類学者に奮発心をひきおこした.

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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 大串貝塚 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%B2%E8%B2%9D%E5%A1%9A
3 ハインリッヒ・フォン・シーボルト (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88
4 エドワード・S・モース (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B9
5 大森貝塚 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E8%B2%9D%E5%A1%9A