大正時代の概観,長谷部言人(『日本の人類学』)

日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.

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■大正時代の概観
学問がさまざまな方向に発展・細分化していった時期.
コロボックル説は消滅したが,日本人の起源については議論がつづいた.しかし,単に日本人と呼んで均質な集団を仮定するのではなく,長谷部や松村により,地方型も考慮したきめ細かい分類が行なわれるようになった.

考古学では,発掘が精密かつ大規模になった.浜田耕作 [2] らによる1917年の国府遺跡 [3] の発掘では,きちんとトレンチを掘り,珍品を掘り出すのではなく,遺跡の性格を調べるのに注意が向けられた.また,この頃から,人骨の研究は解剖学者や自然人類学者が行なうようになり,考古学者は関わらなくなった.

縄文土器を細分類し編年しなおす研究も本格的になり,東北大学地質学教室の松本彦七郎 [4] が,層位調査と土器形態の時間的変化の概念を導入し,その重要性を示した.清野謙次らにより人骨の発掘も多く行なわれた.
1924年,八幡一郎が,千葉県にある加曾利貝塚のE・B地点間で,土器の形が異なり,E地点では黒曜石の石器が大量に共伴するがB地点ではそうではないことを示した.

その一方で,弥生時代の研究は遅れた.良好な人骨がほとんど発見されていなかったためと,独立した時代として認められなかったためだと考えられる.


■長谷部言人 [5]
1906年 医学部を卒業.在学中は小金井の講義を受けるなどしていた.
1907年 京都大学にいた足立文太郎の助手になる.
1913年 『日本人の脊柱』で学位論文を取得.
1916年 東北大学に赴任.以降22年間在籍する.
1938年 東大人類学教室の教授になる.1969年に87歳で亡くなるまで,人類学会の学会長を務める.

研究内容としては,諸民族の生体学的研究や個人骨の計測のほかに,日本古来の人相学・手相学,古文献の研究にもかなり力を入れた.
もうひとつ熱中したテーマは,出土した動物骨から調べる家畜の研究だった.

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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 浜田耕作 (Wikioedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%BF%B1%E7%94%B0%E8%80%95%E4%BD%9C&oldid=38221872
3 国府遺跡発掘物語 (藤井寺市) http://www.city.fujiidera.lg.jp/9,0,98,152.html
4 松本彦七郎 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E5%BD%A6%E4%B8%83%E9%83%8E&oldid=35282522
5 長谷部言人 (Wikioedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%83%A8%E8%A8%80%E4%BA%BA&oldid=35313931