write によるテキストファイルへの書き出し
以下のようなデータを書き出したいとします.
> aaa [,1] [,2] [,3] [1,] 0.1 0.2 0.3 [2,] 0.4 0.5 0.6 [3,] 0.7 0.8 0.9 >
write.table だと,余計なラベルが加わってしまいますが,
# write.table(aaa, "test1.txt", quote = FALSE) を実行 V1 V2 V3 1 0.1 0.2 0.3 2 0.4 0.5 0.6 3 0.7 0.8 0.9
write ならvector形式で書きだしてくれます.
# write(aaa, "test2.txt") を実行 0.1 0.4 0.7 0.2 0.5 0.8 0.3 0.6 0.9
matrix の形状を保持しておきたければ,
# write(t(aaa), "test3.txt", ncolumns = 3) を実行 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9
こういうふうにも出力できます.
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参考
45. ファイルへのデータ出力 (R-Tips)
http://cse.naro.affrc.go.jp/takezawa/r-tips/r/46.html
scan によるテキストデータの読み込み
以下のようなデータを読み込みたいとします.
# test.txt X1 X2 X3 X4 1 0.3 0.2 0.2 0.4 2 0.5 0.1 0.2 0.2 3 0.1 0.3 0.2 0.1
write.table で書きだしたときのような形式ですね.
read.table だと,list型で読み込まれてしまいますが,
> x <- read.table("test.txt", header = TRUE, row.names = 1) > mode(x) [1] "list" > x X1 X2 X3 X4 1 0.3 0.2 0.2 0.4 2 0.5 0.1 0.2 0.2 3 0.1 0.3 0.2 0.1 >
scan ならvector 型で読み込んでくれます.
> y <- scan("test.txt", skip = 2) # skip は先頭から何行とばして読み込むかを指定 Read 15 items > mode(y) [1] "numeric" > y [1] 1.0 0.3 0.2 0.2 0.4 2.0 0.5 0.1 0.2 0.2 3.0 0.1 0.3 0.2 0.1 >
matrix に変換するなら,以下のようにします.
> z<- matrix( scan("test.txt", skip = 2), nrow = 3, byrow = TRUE)[ , -1] # [ , -1] で行名を除外 Read 15 items > mode(z) [1] "numeric" > z [,1] [,2] [,3] [,4] [1,] 0.3 0.2 0.2 0.4 [2,] 0.5 0.1 0.2 0.2 [3,] 0.1 0.3 0.2 0.1 >
matrix なら,そのまま image 関数などに渡せるので便利です.
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参考
46. 落穂ひろい (R-Tips)
http://cse.naro.affrc.go.jp/takezawa/r-tips/r/46.html
ベクトル中の特定の成分の添字を取得する
ベクトル,行列,配列中に含まれる特定の成分の添字を取得したいときは,which を使用します.
> aaa <- 0:9 > bbb <- rep(0:4, 2) > > which(aaa == 2) [1] 3 > > which(bbb == 2) [1] 3 8 > > which(bbb == 2)[1] [1] 3 >
こんなふうに.
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参考
なるほど機能 (RjpWiki) 「ベクトル、行列、配列の特定の成分の添字を得る」
http://www.okada.jp.org/RWiki/?%A4%CA%A4%EB%A4%DB%A4%C9%B5%A1%C7%BD
学会の動き,人類学科の創設,戦争と研究と敗戦(『日本の人類学』)
日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.
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■学会の動き
1934年 人類学会創立50周年.総会,記念講演会,松村瞭による「東京人類学会五十年史」など.生体計測と観察の仕事(骨形態,指紋,遺伝形質など)が増加してきており,研究者の層もかなり厚かった.
また,この年に,民族学と民俗学が明確に分化した(日本民族学会の発足と,機関誌『民間伝承』の刊行).背景には,岡の篤志で出版されていた『民俗学』が廃刊に追い込まれた事情がある.
1936年 中国で発掘にあたっていたワイデンライヒ [2] を学会に招待する.
1939年 東京人類学会・民族学会の連合大会の第四回が開かれて,終わる.東大に赴任してきた長谷部が開催を好まなかったのが原因のよう.
■人類学科の創設
1936年 東大人類学教室の松村が,5月に突如亡くなる(55歳).レントゲン検査のためにバリウムを飲んだ直後だったそう.翌月,須田昭義が講師に昇格するが,当時36歳で,人類学教室を率いていくには大任だった.
1938年 東北大学の長谷部言人が教授として赴任することになる.坪井の逝去時以上の危機に瀕しているとして,清野が手をまわしたという話もある.長谷部は,以下の3点に注力した.
・制度的なところ: 人類学科を創設して,専門家の養成にとりかかる.
・人類学の進むべき道: 多方面の人を集め,あまり専門分化しすぎないようにしたい.
・学会のことを起源から考えてみる: 再刊した『ドルメン』第一号で,学会創期の回想をする座談会(鳥居,八木,下村など)を司会した.
1984年 学科の設置が決定する.長谷部は積極的な意欲をもって専門家の養成にとりかかった.本格的に研究するには基礎医学の知識が必要だろうということで,医学部の講義や実習をとらせた.選択科目は,関連する隣接分野を広く学びながら理解させるカリキュラムだった.実習は身体計測や発掘だった.
当時の教室は,身分のはっきりしない人たちが集う寄り合い所のような役割も果たしていた.学生の入学卒業は学会全体にとってもある種の事件であり,学会誌で公表されたりしていた.
■戦争と研究と敗戦
日中戦争の始まる前後から,海外への学術調査団の派遣が目立ってくる.調査は,戦時に占領地や征服地で行なわれたが,東アジアの地域集団の身体的特徴を明らかにするうえで大きな役割を果たした.
敗戦前には,古くからの会員が次々に亡くなる.1938年には浜田耕作(57歳),下村三四吉,1940年には石田収蔵(61歳),1941年には有坂鉊蔵(74歳),1942年には白鳥庫吉,八木奘三郎,1944年には小金井良精(85歳),1945年には足立文太郎.
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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 Franz Weidenreich (Wikipedia) http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Franz_Weidenreich&oldid=438610184
雑誌『ドルメン』,土器の編年研究,ミネルヴァ論争,山内清男(『日本の人類学』)
日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.
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■雑誌『ドルメン』
やや一般向けにつくられた人類学の雑誌.大先生が相譲らずで,研究交流がはかどらない現状に対し,先生方を招いて気ままにしゃべってもらうような役割を持たせた雑誌をつくりたいということで,1931年に岡茂雄が企画した.
岡はまず京都大学の浜田耕作に相談し,清野らを呼び集めて話し合い,賛同を得た.次に岡は,東京の有力な学者をひとりずつ訪問したところ,予想外の好感をもって迎えられた.二冊分くらいの原稿がすぐさま集まり,1932年に創刊号が出版された.ちなみに原稿料は採算的に払える状況ではなく,創刊号の後半は,岡が召集された任地の松本から印刷所に送られた.企画はだんだんに理解され,「もったいないくらい,原稿が集まった」.
岡が出版界をはなれた1935年に,4巻8号で出版は途絶えてしまう.シリーズが終わった後,考古学者の甲野が『ドルメン』の方針にのっとった『ミネルヴァ』を出すが,これも1936年に10号で終わってしまう.そのあと復刊を望む声が高く,1938年に再刊される.しかし戦局の進行と岡の徴用のため,再刊は9号で終りになってしまう.
■土器の編年研究
山内清男などの仕事により,土器の編年研究が進む.弥生時代は農耕が一般化された時期であるとの認識も,山内により指摘されている.『ドルメン』には,
・縄文時代: 東日本を中心として発達した狩猟・漁撈文化
・弥生時代: 大陸との交渉をもち,特に西日本で展開した原始農耕文化,金石併用
・古墳時代: 大陸文化を受け入れ,鉄器時代に相当
という,かなり確実ではっきりしたまとめが載っている.
■ミネルヴァ論争 [2]
縄文終末期に関して,雑誌『ミネルヴァ』上でたたかわされた論争.
歴史学者の喜田貞吉が,宋銭と亀ヶ岡式土器が併出した事例から,東北地方の縄文時代の終わりを鎌倉時代頃にまで引き上げた.それに対し,山内は,各地の時や文化の編年研究(縦)と,それらの地域間のつながり(横)がだいぶわかってきていることから,縄文文化の終末は日本各地でそう大差ないと反論する.
喜田が引いたのは,ごく少数かつ子どものいたずらが強く疑われる例であった.この論争は,正道をきちんと進む若手の考古学者たちの成果が,この時代にはまだ十分に理解されていなかったことを示している.
■山内清男 [3] [4]
「縄文学の父」とも呼ばれる考古学者.層位学的研究手法を用いて遺物の年代決定を本格的に行ない,縄文土器をはじめて全国的に編年した.土器編年の他にも,サケ・マスの漁撈のため東日本の食資源は豊富であったとする「サケ・マス論」の提唱,弥生時代における農耕存在の提唱,放射性炭素年代測定への批判などでも有名である.
1919年 東大人類学研究室予科に進学し,形質人類学や発掘調査の研究に従事した.
1924年 東北大学の長谷部の副手となる.
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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 亀ケ岡文化 (函館市) http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_01/shishi_02-03/shishi_02-03-05-00-02.htm
3 山内清男と日本考古学 (東京大学総合研究博物館) http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/jomon/yamanouchi.html
4 山内清男 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%B8%85%E7%94%B7&oldid=36007456
昭和時代の概観,岡茂雄,足立文太郎,明石原人(『日本の人類学』)
日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.
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■昭和時代の概観
人類学の諸分野が個別科学として発達していく.専門がはっきりし,高度なレベルのものになってきた.出版物の増加(岡書院が中心的な役割を果たす),若手の人文研究会(APE会 -Anthropology, Prehistory, Ethnology- の母体になる),海外調査や植民地の大学に教室ができる(京城大学の宗教学・社会学教室,台北大学の土俗学教室)なども.
1930年には,米国で第一回自然人類学会(AAA)が開かれた.
■岡茂雄 [2]
人類学,民族・民俗学,考古学専門の書店「岡書院」を創立した編集者.東大人類学教室に選科生として入学し,鳥居の下で学ぶ.1924年に岡書院を設立し(当時30歳),学術史上の名著を多数出版した.
1923年の関東大震災の後,人類学教室ではしばらく講義も行なわれなくなった.教室で講義を聞き,研究者仲間と交流もしていた岡は,このときに身のふり方を考え,「口惜しくはあるが,思い切って攻学への執着は捨て,…学の普及をはか」る運動に従事しようと決意を固めたらしい.鳥居の『人類学人種学上より見たる北東亜細亜種』をまず出版し,つづけて,清野の『日本原人の研究』,長谷部の『自然人類学概論』,足立の『日本人体質の研究』など貴重な書物を出版しつづけた.『人類学雑誌』や柳田国男らの編集による『民族』の出版も引き受けた.
■足立文太郎 [3]
軟部組織の研究に打ち込んだ人類学者.ほとんどの研究報告は欧文で,日本語の著作は『日本人体質の研究』のみ.
1884年 東大医学部を卒業(29歳).
1889-1894年 ドイツに留学(最後の2年間は自主的に延長した).
1894-1926年 京大解剖学教室の教授.
1945年 敗戦の直前に亡くなる(80歳).
清野によると,研究は二期にわけられる.1894年からの3年間は,基本的な自然人類学的研究(足骨,眼筋,台湾調査など).それ以降は,業績といえるような大きな仕事がなく,ひたすら軟部組織の研究に打ち込む.このあいだは経済的にも切り詰めた生活を送り,着古した洋服にゲタという小間使いのような格好の「有名な奇人」だった(好んでやっていたわけではないらしい).学者仲間から嘲笑的な評価を浴びせらたりしつつも,清野や小金井などの暖かい理解もあり,大仕事を成し遂げる.1943年にはこの業績によりゲーテ賞を受賞.
■明石原人 [4]
1931年,直良信夫が明石市郊外で洪積層に由来するらしい骨盤の破片をみつける.直良はそれを人類学教室の松村に見せ,松村は写真を撮り模型をつくる.この発見は話題にならず忘れられていたが,1947年にその写真と標本を長谷部がみつけ,研究を再開し,骨は新種の原人のものであるとした.
現物は大戦中に消失してしまったため真相は不明だが,原人の骨説は疑わしいという意見が大勢となっている.
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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 岡茂雄 (Wikioedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B2%A1%E8%8C%82%E9%9B%84&oldid=36987449
3 足立文太郎博士 (湯ヶ島小学校) http://yues.city.izu.shizuoka.jp/rekisi/adachi.htm
4 明石原人 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E4%BA%BA&oldid=37670400
大正時代のトピック,清野謙次(『日本の人類学』)
日本における自然人類学の歴史について,個人的な覚え書きです.
ストーリーの構成や内容は [1] を参考にしています.
(よくまとまった読み応えのある本ですので,機会があればぜひご覧になってみてください.)
間違いや誤植などあるかもしれませんので,十分にご注意ください.
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■大正時代における研究上のトピック
1925年 宮城県桝形囲から出土した土器片にみつかった稲の穀粒の圧痕を報告.土器片は当初は縄文時代のものと思われていたが,後に弥生時代のものであることが判明.しかし,弥生時代の農耕すらあまり知られていなかった時代だったため,インパクトがあった.山崎直方らが神奈川県の万田貝塚 [2] に土器をみつけ,長谷部は先史時代のイヌについて発表した.
1926年 浜田耕作らが長崎県の有喜貝塚 [3] から,箱式石槨内に鉄器と人骨を発見する.柳田国男の肝いりでアイヌの会が催され,小金井やバチェラー [4] などが参加した.
大正末期 全国の医専が大学になる.拡充された解剖学教室や法医学教室では,人類学的研究がさかんに行われるようになる.清野謙次らが頭角をあらわしてくる.
■清野謙次 [5]
病理学が専門だった.文章がうまく,専門だけでなく人類学や考古学でも第一級の仕事を残した.江戸時代の文献の所蔵量や1500体という人骨の蒐集から想像されるように,蒐集・所有欲のきわめて強い人だったらしい(1938年,京都の古寺から古文書を盗み出した清野事件など).
統計学的な手法を用いてデータを扱うという概念を導入した.当時の同様の仕事には,1925年の足立文太郎の『数の扱いについて』などがある.
1914年 京都大学講師となる.
1919年 人骨蒐集を開始.
1925年 『日本原人の研究』を出版.
1926年 岡山県の津雲貝塚 [6] の人骨の研究を中心に,石器時代人の起源について議論を展開した.
1928年 『日本石器時代人研究』を出版.この年までに,石器時代人骨565点,古墳時代人骨46点を集める.
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参考
1 寺田和夫. 1981 (初版), 『日本の人類学』, 角川書店, 東京.
2 万田貝塚 (平塚市博物館) http://www.hirahaku.jp/hakubutsukan_archive/rekisi/00000045/21.html
3 遺跡大辞典 (長崎県) http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3066
4 ジョン・バチェラー (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC&oldid=37776913
5 清野謙次 (Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%85%E9%87%8E%E8%AC%99%E6%AC%A1&oldid=37042355
6 津雲貝塚 (東京大学総合研究博物館) http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000dm2k/japanese/02/02-05.html